おとなとこども



 座敷童子は恩を忘れないのだと言った。
 その通り、彼女は実に良く働く。もともと、いいとこ育ちのお坊っちゃんである望は家事全般が得意とは言えない。誰かがやってくれる、そういった生活が当たり前であったので、一人暮らしを始めた当初は苦労していた。それがあったからこそ、今、霧が家事全般をしてくれることが、実にありがたかった。
 かわいいかわいい、色白の座敷童子。誰が見ても美人だと評するだろう少女が、かいがいしく自分の世話を焼くことに、ころっといかない男がいる訳はないのだ。
 袖にたすきをかけ、前掛けと三角巾をして台所で動き回る霧の後ろ姿に、望は不埒なことばかりが頭をよぎる。
 だいたい、格好が良くない。どう見ても、新妻にしか見えないのだ。望もいい年であるし、それなりに良くも悪くも健康な男子である。頭に浮かぶ「新妻」の二文字に、邪な考えが先に立つのは些か仕方のないことと言えた。
 望は我に返り、頭を振る。
 いくら好意を持たれようと、相手は「童子」。こどもである。その上、人間ですらない。そんな子供相手に、いったい何をしようと言うのだ。教師としても、社会人としても、それ以前に、大人として間違っている。
 だが、台所から聞こえる機嫌の良い鼻歌に、ついつい目線と心を奪われてしまう。兎に角、かわいいのだ。
 そしてまた我に返る。
 この一週間、その繰り返しで望は鬱憤が溜まるばかりだ。そろそろ限界も近い。生徒たちには枯れているなんて言われていても、好いた女性と四六時中一緒ならば、いくら枯れ木でも新芽くらいは生えてくる。
「せんせっ、ご飯できたよ、」
 ひょっこりと顔を出す仕種が、また可愛らしい。
 食卓へ並べられた湯気を立てる夕食に、ぐう、と望の腹が一鳴きする。別に亭主関白を気取っているわけではなかったが、座ったまま特に何をするわけでもなく、差し出された茶碗を受け取った。鰈の煮付けもほうれん草の白あえも、蜊の味噌汁は勿論のこと、味に文句などつけようもない。望は霧の作った以外の食事の味が分からなくなって暫く経っていたが、彼女の料理を口にするたび、「それでもいい」と思ってしまう。
「美味しいですよ」
 食べることに夢中でつい忘れがちではあったが、一言だけでも声をかければ、霧はこぼれんばかりの笑顔を望に返すのだ。
 不埒な考えばかりを繰り返す今の望に、その笑顔は毒に近い。熱くなる顔を隠すように霧の目線から顔をそらし、慌てて茶碗をかけ込んだ。
「ごちそうさまでしたっ! 風呂に入ってきますねっ!」
 がたん、と音をたてて立ち上がり、望は霧に目をくれずに一目散に部屋を出た。
 残された霧は、きょとんと首をかしげていた。

 望が風呂から戻ると、奥座敷にはすでに布団がしかれていた。一組だけの布団にまたも余計なことを考え、すぐに頭を振る。霧は食事も睡眠も、特に意識したことがないと言うのだから当然のことなのだ。
 だが、まだ眠るつもりのない望は、テレビをつけてチャンネルを適当に回す。くだらないとしか言い様のないバラエティ番組ばかりで辟易としながらも、サスペンスの二時間ドラマで漸く落ち着く。よく見る女優と男優が、誰が犯人だと言い争っていた。そんなものが面白いのか、霧は茶を入れながらも画面に見入っていた。
 出された茶をすすりながら、望はぼんやりテレビ画面を眺める。場面は街中が写り、また海が写りと転々と変わって行く。もしかすると、霧はテレビを通じてしか外を知らないのかもしれない。そう思うと、望は無性にやるせない気持ちになった。
「あなた、いつもこうやって一人でテレビ見てるんですか?」
 望の問いに、霧は首をかしげる。
「一人の時はあんまり見ないなぁ。」
 「誰もいないのにテレビついてるなんて怖いじゃない」と、霧が笑う。
 馬鹿な質問だ。
 霧のことが見えるのは幼い子供と望だけなのだ。ここは高校、幼い子供など心当たりは甥だけしかいない。
 どれだけ霧が寂しい思いをしてきたのか、考えるだけで望は目の前が暗くなる。それは同情であり、同時に「自分は特別」という、酷く傲慢な情感が混じっている。独占欲と支配欲、他の色々な感情は、暴走しがちで望には手が余った。
 何をしようとしたのか自分でさえ戸惑う手を引っ込め、重い溜め息をつくと、いつのまにか霧が隣に座っていた。
「先生、大丈夫だよ。今は寂しくなんてないんだから、」
 そう言って笑う霧を見て、望は照れ隠しに茶を口に含んだ。
 そのタイミングを図ったかどうかは分かりようもないが、空気を読まないテレビからあられもない喘声が聞こえ、望は派手にむせかえった。犯人役の女優とこれから殺されるだろう俳優のベッドシーンだ。気管に入った茶のせいで喉が痛くてたまらなかったが、あわててチャンネルを変えようとリモコンを探す。慌てているうちにその場面は終わってしまったが、「大丈夫?」と優しく背中をなでてくれる霧に、やましい事ばかりを考えていた望には少々ばつが悪かった。
「大丈夫です、ほんとに……」
 年頃の娘とこういった内容のテレビ番組を見ることに躊躇する男親でもあるまいし。
 だが今度は望がやっと落ち着いた所に霧が笑いながら呟いた言葉に驚く番だった。
「先生もああいうこと、したい?」

 灯りを消した部屋で、望は寝そべったまま天井をあおぎ見た。
 やってしまった。
 嗚呼、と情けない声で嘆くが後の祭りだ。隣の少女は疲れたのか、静かな寝息が聞こえる。乱れた着物は着物のようをなしておらず、辛うじてまとわりついているだけだ。細い肩が寒そうで、望は毛布を掛け直してやる。
 それがきっかけなのか、霧の瞼がうっすらと開く。
「せんせ……?」
「すみません、起こしてしまいましたね」
 起き上がろうとする霧を布団に留め、望は申し訳なく眉を下げた。勿論、申し訳なく思っているのは起こしたことだけでなく、霧にした行為全てに対してだ。だが、彼女はそれが分かってか分からずか、微笑んだまま首を振る。
「大丈夫、」
 微笑む顔が随分と幼く見えるせいか、望の良心はまた痛む。
「あんまり、寝たことなかったから不思議な感じ……」
 特に睡眠を必要としないと語っていたことを思いだし、まだうつらうつらしている霧の頭を撫でる。
「まだ、寝ていて構いませんよ。無理をさせてしま……」
 そこまで言ってから、望は地にめり込むほどに自己嫌悪に陥った。理性は簡単に吹き飛んでしまうくせに、どうして我に帰るのは早いのだろう。
「……子供に手を出してしまうなんて」
「やだ先生、そんなに落ち込まないでよ!」
 ともすれば土下座にも見える望を見て、霧は慌てて起き上がり望の頭を上げた。
「だいじょうぶだよ、私だってもう何十年も学校に住んでるんだよ? 座敷童子でも先生よりずっとずっと年上なんだから!」
 必死にいい募る霧に、望はただポカンとしていた。
 そりゃあ、妖怪に年齢も何もないのかもしれないが、それでもやっぱり、見た目の幼い霧にしたことは望の立場では許されないような気がした。だが、どこかずれているとは言え懸命に慰めようとする霧に、望はいいのだろうかと言う気がしていた。
「いいんですか、ね?」
「いいんだよ」
 互いに笑いあったあと、霧ははっとして、
「ああ、でももう座敷童子じゃなくなっちゃうのかな?」
 と、そう言って笑う彼女に、望は脱力する他なかった。


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「この先視線、一方通行」の没ネタ。
本の方はこんなになかよしになる前に終わってしまったって言う…。